『 日本酒 四方山話 』

会報誌「大阪販売士」第152号(2026.1.1発刊)より転載
2026/5/20:Web掲載にあたり一部改変

日本盛株式会社
大阪販売士協会  広報委員 助野 正明

☆彡 しごとの魅力発見!☆彡 

『 日本酒 四方山話 』

 神代の昔から、日本酒は私たちの生活とは切っても切れないものでした。
祝儀、不祝儀には付き物ですがその中でも取り分け、お正月は縁の深いものがあります。本号の発行は、お正月ということでもございますので、「日本酒」について、製法などの難しい話はさておき、生活や言葉にまつわる「四方山話」で綴りたいと思います。

◎「酒」の語源

 酒の旁(つくり)は「酉(とり)」です。各月を十二支で表すと10 月は「酉」であり、この漢字は酒壺を表す象形文字です。10 月は新米の収穫が始まり、日本酒造りを始める時期でもある。その「酉」に液体を入れるので偏に「さんずい」を付けて「酒」になった。

 因みに、「酉」の付く言葉にはお酒に由来するものが多く「酌・酔・醸造・発酵」などがある。
医の旧漢字「醫」には「酉」が使われており、古来より、治療にもお酒が使用されていたことが伺え、「酒は百薬の長」の出所とも謂われている。

◎下戸

 日本酒はお米が原料であり、水稲農耕が渡来した弥生時代後期から日本酒が生まれたとされている。弥生時代前期はお米ではなく、雑穀でお酒らしきものが造られていた。当時は階級制度が厳しく、最下級の「下戸」はそのお酒らしきものを呑ませて貰えなかった。これがのちに転じて「呑めない人のことを下戸」と呼ぶようになった。

「魏志倭人伝」には、このような話など日本人の生活様式について詳細に記載されている。

◎濁り酒から澄(す)み酒、清(す)み酒へ

 鴻池財閥の始祖、鴻池新六が現在の伊丹市鴻池で酒造りを始めた。酒蔵の主がカネを使い込んだ手代を首にした。その手代が腹いせに火鉢の灰を酒樽に投げ込んで逃亡した。その後、濁っていた酒樽が澄んでおり、味も美味しくなっていた。これを江戸へ出荷し大儲けをし「清酒」の語源となった。(当初は濁り酒が普通であり、今は活性炭で脱色している。)

   ~ 落語の “長者番付” より ~

◎般若湯(はんにゃとう)

 仏教において、僧家の隠語で日本酒のことを般若湯という。仏教徒五戒の一つに「不飲酒戒」がある。

 般若とは、真実を見抜く悟りの知恵。その知恵の湧きいずるお湯を般若湯とした。
僧もあからさまにお酒を飲むとは言えないので、ある意味、風流な言い回しである。
ビール業界では、これになぞらえて「泡般若」と云われる方も。

◎左利き

 大工がノミを左手で持つことにかけて、呑兵衛を指して云う。
        (ノミを持つ手が左なので “呑み手”)

◎下らない

 京都を中心として地方に向かうことを下りと称し、灘で酒樽を積んだ船を「下り酒」という。
「下り酒」を積んだ船の江戸における着船地は隅田川の支流、今の「中央区」新川でこの界隈には今も酒問屋が終結している。灘の酒樽は最高価格で、当時、江戸方面のお酒は味が落ちており、下り酒に対してくだらない酒、という自嘲気味の皮肉から端を発して「くだらない」の語源となった。

  都々逸

     お酒呑む人 花ならつぼみ 今日も咲け( 酒 )咲け( 酒 )明日も咲け( 酒 )

    酒の無い 国へ行きたや二日酔い 
             三日目には また欲しくなる

 お酒は人生・男女・夫婦の潤滑油、コミュニケーションツールです。
お酒は天の美禄なり。「適量飲酒」で末永いお付き合いをしましょう!