【パナソニック株式会社】

第133号掲載(2018.1.1)

米林 一郎

パナソニック100年の歩み

パナソニック株式会社(旧:松下電器産業株式会社)は、2018年に創業100周年を迎えることとなった。その社歴について振り返り、ご紹介をさせていただく。

■創業からヒット商品誕生まで

松下幸之助(創業者)は、1918年3月7日に、大阪市北区西野田大開町(現、福島区)に「松下電器器具製作所」を創設した。

 松下幸之助(23歳)、妻むねの(22歳)、義弟井植歳男(15歳)という若い3名での小さなスタートであった。当初は扇風機の部品を製造するかたわらで、品質のよい配線器具の考案を夜遅くまで行っていたそうである。そしてついに、最初の製品「アタッチメントプラグ」「2灯用差し込みプラグ」を発売し一般製品より品質がよく価格も安かったためよく売れ、それに伴い従業員も増えていった。

 1923年には、当時としては画期的な「自転車用砲弾型ランプ」を発売した。当時の自転車ランプはローソクか石油で灯すのが主流で、電池式は2、3時間しかもたず評判も良くなかったが、試作を繰り返すことで、約10倍の電池持ちを実現する製品となった。が、従来からの電池式の評価から、販売にも苦戦をしていたが、試作品を作って販売店に無償で貸し出し、その性能を実感してもらう方式で販路を広げていった。

1927年には電熱器分野へも進出し、品質に優れ、しかも買いやすい価格のアイロン開発をスタートさせた。

月1万台という当時としては大量な台数を生産販売することによって実現できた低価格のおかげで好調な売れ行きとなり、同じ方式で電気コタツなども開発し半値程度の価格で発売でき好評を博した。

■事業経営使命「水道哲学」とは

1932年には全従業員を集め、事業経営の使命を示した。その内容を要約すると「豊かな生活を実現するためには生産増による富の増大を図り、水道の水のごとく安い価格で製品を提供し人々の幸福を実現しよう」というものであり250年という長い期間での実現を社員全員で誓いあった。

終戦後は、オランダのフィリップス社との技術提携や、日本国内の販売会社制度など技術力、販売力の強化に努めた。

1950年代は、白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「3種の神器」と呼ばれ生活のあこがれの的であったが、パナソニックは時代の到来を予測して1951年に洗濯機を発売し、テレビ(1952年)、冷蔵庫(1953年)と時代のニーズを先取りする商品づくりを広げていった。

 その後は経済発展と景気減退など様々な環境変化の中においても、周知を集めた全員経営の実践により、電子レンジ、電気炊飯器、VHSホームビデオなどヒット商品にも恵まれ現在に至っている。

■創業100周年を通過点として

創業100周年以降も1つ1つの製品を磨き上げると同時に、総合家電メーカーの強みを発揮し、複数の製品を組み合わせていくことで消費者の暮らし向上の手助けを目指すことが今後の使命である。